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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和45年(う)53号 判決

被告人 若島幸雄

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金三、〇〇〇円に処する。

被告人において、右罰金を完納できないときは、一日を金三〇〇円に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審及び当番における訴訟費用は、被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、朝日区検察庁検察官事務取扱検察官検事塚谷悟作成名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、被告人提出の答弁書に各記載されているとおりであるから、ここにこれらを引用する。

検察官の所論は要するに、原判決が、「被告人若島幸雄は、富山県下新川郡入善町役場民生課衛生係長として、同町の営む、じん芥焼却場に就労する労働者の指揮監督にあたつているものであるが、昭和四四年四月七日同町入善字板島所在の入善町営じん芥焼却場において、労働者柏原ハナほか一名を使用して、じん芥焼却作業を行なうにあたり、法定の除外事由がないのに、転落のおそれがあるじん芥投入口に転落防止に必要な柵を設けず、もつて危害防止のために必要な措置を講じなかつたものである。」との本件公訴事実(罰条労働基準法四二条、「予備的に四三条」、一一九条一号、労働安全衛生規則一三四条の二)に対し、「昭和四四年四月七日現在において、(イ)被告人は、入善町役場民生課衛生係長として、課長の補佐的存在において、本件じん芥焼却場に就労する労働者の指揮監督にあたつていたこと、(ロ)右焼却場の焼却炉上にある二ヶ所のじん芥落下投入口の存在、(ハ)右各投入口附近において、労働安全衛生規則一三四条の二本文所定の丈夫な柵等を設けてなかつた事実及び同条ただし書により労働者に命綱を使用させる等転落による危害を防止するための必要措置を講じていなかつた事実」などを認定しながら、「本件訴因に対する罰条は、労基法四二条を適用すべきではなく、建設物に関するものであるから、同法四三条を適用すべきもの」としたうえ、「労基法一〇条により、本件公訴事実に適用しようとする同法四三条、四五条、安全規則一三四条の二所定の『使用者』に被告人は該当するものとは解されない。」と判断し、その理由として、「右一〇条所定の使用者とは、労基法各条の義務についての履行の責任者をいうものであつて、その認定は、課長、係長等の形式にとらわれず、各事業において、同法各条の義務について実質的に一定の権限を与えられ、責任を有しているか否かによるが、そのような権限を与えられておらず、単に上司に進言し、上司の命令を伝達するに過ぎない場合は、使用者とみなされない相対的なものである」と解し、「入善町においては、本件事業の経営担当者と認め得る者は、実質的権限を有する民生課長以上の者であつて、被告人は、担当課長の補佐的存在にあり、上司の指揮を抑ぎ、その命令を得て遂行すべき職務権限を包蔵する一介の係長に過ぎないもので、上司をさしおいて、町営造物の修理、命綱購入などの権限を有しない」と認め、「このように、自己の責任において、町の経費を支出する実質的権限欠如の被告人に対し、必然経費の支出を伴う建設物の構造上必要な措置を講ずべきことを求めるは、難きを求めるもので、また、事実上こうした状態の下に、現実必要な措置を講じてなかつたからとて、それに対し、刑事責任を問うことは、妥当性を欠き不自然である。」と説示し、結局、本件公訴事実は、構成要件に該当せず、犯罪が成立しないとして、被告人に対し無罪の言渡をしたのは、

第一に、被告人の職務権限の範囲につき、被告人は本件じん芥焼却の事業につき、現場における労務、安全の管理、及びこれに要する財政上の措置についても、広範な権限と義務を有する第一次的な業務担当責任者であるのに、これを本件の危害防止に関する実質的権限なしとした点において、事実を誤認したものであり、

第二に、労働基準法所定の「使用者」の意義に関し、経費の支出権限の保有を要件とした点において、同法の解釈を誤り、同法の適用を排斥した点において、法令の適用の誤りを犯したものであって、

それらの誤りはいずれも判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない、というにある。

そこで、以下に当審の見解を表明するのであるが、労働基準法にいわゆる「使用者」の範疇については、具体的には同法各条に定められた義務との関係においてこれを考察すべきものであるから、まず、所論に対する判断の前提として、本件公訴事実に適用すべき構成要件の規定は同法四二条と四三条のいずれであるかにつき検討を加えるに、同法四二条は労働者の就労する建物、労働に用いられる機械、器具、材料などから生ずる危害を防止するための措置を定めたものであり、これに対し、同法四三条は就労の場所に関し、労働者の健康、風紀及び生命の保持をはかるためにとるべき措置を定めたものであることは、両規定の文理に照し明らかであり、しかも右四二条にいわゆる「その他の設備」には広く建設物も含まれると解されるから、原判決のような考え方に両規定の差異を求めるのは相当でなく、したがって、本件公訴事実が該当すべき構成要件の規定は、右四二条にほかならない。

よつて所論にかんがみ被告人が労働基準法四二条、一〇条にいう「使用者」に当るか否かにつき審究考察するに、右「使用者」に当るというためには、事業における危害防止の措置を講ずるにつき実質的に一定の決定、処分をなす権限を有する者でなければならず、単に上司の命令を伝達するにすぎない者はこれに当らないが、この場合、具体的な措置の履践あるいはこれに伴なう経費の支出等を決するにつき終局的な権限を有する地位にある者に限られると解すべきではない。このことは、同法一〇条が広く「その他その事業の労働者に関する事項について、事業主のために行為をするすべての者」を「使用者」と定め、職場における直接の労務担当者にも同法各条所定の義務を課し、労働者の保護に遺憾なきを期しているその精神に照して明らかである。そうだとすれば、町営の事業に対する管理体系が、町役場の町長、助役、課長、係長、主事等の職制により階層的かつ重畳的な構造をなしている場合において、係長として、その係の所轄に属する事業について、直接事業設備の管理、及びこれに就労する労働者の指揮監督に当り、したがつて、危害の発生を防止するために必要な措置を講ずるにつき、課長その他の上司に対策を進言し、その履行を促すべき権限を有し責任を負う地位にある場合には、たとえ、該対策実施に必要な経費を支出する権限を有しない者であつても、なお、これを右の「使用者」に当ると解するのが相当である。けだし、労働者の作業現場の安全は、現場における直接の監督者の注意によらなければ確保することが困難であり、これ等の者の報告によらなければ、経費支出の権限を持つ上司はその対策を講ずることができないからである。そうして見ればこのような地位にある者は、災害の防止について行つた進言を上司が拒否したような特別な事由がない限り、使用者としての責任を免れないと言わねばならぬ。

これを本件についてみるに、後記(証拠の標目)に記載の各証拠を総合すると、

(一)  被告人は、昭和四三年八月一日、入善町役場民生課衛生係長に任ぜられ、上司である民生課長の補佐役として、その命を受け、係の事務を統括、処理する地位にあり、昭和四四年四月七日当時、衛生事務全般に関する事項とこれに伴なう庶務及び予算に関する事項等についての主務者として、衛生係の所轄に属する本件じん芥焼却事業の事務処理に当つていたこと。

(二)  被告人は、係長として、諸規定上、終局的な決定、処分をなし得べき事項は与えられていなかつたけれども(入善町において、専決事項が与えられているのは課長以上の者である)、所轄事務に伴なう予算については、民生課の予算要求のため課において作成する合議書に名を連ね、また、予算要求書の原案を作成し、あるいは、与えられた予算につき予算整理簿を管理してその出納に当るなどして、これに参画する権限を有していたこと。

(三)  被告人は、本件じん芥焼却場における労務、設備等の直接の管理責任者(もつとも清掃事業に関する事項については主務者は主事の若島友衛であつたが、被告人はその上司として依然直接の管理責任者であつたと認むべきである。)として、毎週二、三回程度焼却場を巡視し、労務者らに対しじん芥投入口に転落しないように注意しながら作業をするよう指示を与えたり、また、焼却場の設備、機械、器具、あるいはじん芥運搬車輛の修理等について、労務者から報告を受け、所要経費につき業者と折衝のうえこれを上司に具申するなど、その処理に当つていたこと、これに比し、民生課長は毎月一、二回、助役は年二、三回程度焼却場を巡視するにすぎないのが習わしであつたから、これらの上司は直接右設備の現状を把握し難かつた事情にあること。

(四)  被告人は上司に対し本件に関し柵の設置方を要する旨の上申を怠つていたものであること。

等の諸事実を認めることができ、他に右認定を覆すに足る信用すべき証拠は存しない。

そしてこれを前段説示に照せば、被告人は、本件じん芥焼却場の設備の安全管理者として、労働基準法四二条所定の危害を防止するために必要な措置につき、対策を民生課長その他の上司に進言し、その履行を促すべき権限を有し職責を負う地位にあつたにも拘らず、災害の予防に必要な措置を講ずることを怠つていたものということができるから、前記各条項にいう「使用者」詳言すれば、前掲労働基準法一〇条所定の「事業主のために行為をするすべての者」に該当するというべきで、同法一一九条一号の罪責を免れないといわねばならない。

されば、右と異なる認定と判断に基く原判決は、事実を誤認し、かつ法令の解釈、適用を誤つたものであつて、これらの誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、検察官の論旨は理由があり、原判決は全部破棄を免れない。

よつて刑訴法三九七条一項、三八〇条、三八二条に則り原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い当裁判所において更に判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和四三年八月一日より、富山県下新川郡入善町役場民生課衛生係長として、同町の営むじん芥焼却場の設備の管理、及びこれに就労する労働者の指揮監督の任務に当つていた者であるが、昭和四四年四月七日、同町入善字板島八、二八八番地ノ二所在の入善町営じん芥焼却場において、労働者柏原ハナほか一名を使用して、じん芥焼却作業を行うにあたり、法定の除外事由がないのに、焼却炉への転落のおそれがあるじん芥投入口に、転落を防止するため、必要な箇所に柵等を設けず、もつて危害を防止するために必要な措置を講じなかつたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は労働基準法一一九条一号、四二条、四五条、労働安全衛生規則一三四条の二本文に該当するので、所定刑中罰金刑を選択するが、本件犯行の罪質、態様、結果、被告人の地位、経歴等を考慮し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金三、〇〇〇円に処することとし、右の罰金を完納できないときは、刑法一八条により金三〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、原審及び当審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項本文を適用して全部これを被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

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